2024年3月、審査員として参加した英国インターナショナルサイダーアワードの道中に立ち寄ったドイツで訪問した老舗レストラン「アドルフ・ヴァグナー」。同店は1931年の創業以来「アプフェルヴァインを提供する老舗酒場」としてフランクフルトで特別な地位を築いてきた名店です。シュニッツェルに寄り添うように、ベンベルと呼ばれる専用の陶器からアプフェルヴァインが静かに注がれていく光景は、街の日常にすっと溶け込み、その積み重ねの中に息づく歴史までも感じさせてくれました。ひとたび口に含むと、シュパイアーリングを漬け込んだ独特の香味がふわりと広がり、ドイツならではの風土がそのまま味わいになって立ち上がってくるようで、とても興味深かったのです。これが、僕にとって初めての本場の「アプフェルヴァイン」体験でした。
「アプフェルヴァイン(Apfelwein)」の発祥には、16世紀の宗教改革と小氷期という歴史のうねりが深く関わっています。プロテスタント化による修道院ワイン醸造の衰退と、寒冷化によるブドウの不作が重なり、市参事会による新規開墾の禁止令も相まって、農家たちはリンゴ栽培への転換を余儀なくされました。カトリック修道院文化と結びついたノルマンディーのシードルとは対照的に、アプフェルヴァインはプロテスタント市民の生活の中で花開き、かつての「貧者の飲み物」は18世紀半ばにはザクセンハウゼンだけで年間100万リットルも消費されるほどの市民権を得るに至ったのです。
バラ科ナナカマド属に分類され、小さな洋梨のような姿をした果実「Speierling(シュパイアーリング)」。未熟果の強烈な渋みは思わず「吐き出す(speien)」ほどで、それが名の由来とも言われますが、完熟すればリンゴを遥かに凌ぐ糖度と、保存性や風味の奥行きをもたらす豊富なプロアントシアニジンを秘めています。
今回漬け込んだ「Speierling(学名 Sorbus domestica L. / 英名 Service Tree)」もまた、ゲルマンの古い信仰を宿す特別な果実です。かつて聖なる森で樹木を崇拝したゲルマンの人々は、この枝を屋根に挿して雷や悪霊を避ける風習を持っていました。この果実を酒に漬け込むことは、樹木崇拝の記憶を発酵文化へと昇華させる行為とも言えるでしょう。
現地の酒場では、コバルトブルーの塩釉石器「Bembel(ベンベル)」から、菱形カットの施されたグラス「Geripptes(ゲリップテス)」へと酒が注がれます。油で汚れた手でシュニッツェルを頬張りながらでも滑らずに掴めるよう設計されたこのグラスの機能美に想いを馳せ、素朴で力強い味わいの再現に挑みました。
Reference
1. Ebbeldrang und Aepffelwein 525 Jahre Ersterwähnung des Apfelweins in Frankfurt am Main(https://www.deutsches apfelweinmuseum.de/geschichte/ebbeldrang-und-aepffelwein/)
2. Karl der Große und der Apfelwein Von der Herkunft des Frankfurter Nationalgetränks(https://www.deutsches-apfelweinmuseum.de/geschichte/karl-der-gro%C3%9Fe-und-der-apfelwein/)
3. Stadt Frankfurt am Main: Frankfurter Gold: Was jeder Frankfurter und Eingeplackte wissen sollte (https://frankfurt.de/service-und-rathaus/presse/texte-und-kampagnen/features/frankfurter-gold)