今作では、複数の原料を同時に発酵させる「共発酵(Co‐fermentation)」と、異なる種類の微生物を組み合わせる「複合微生物発酵(Mixed Microbial Fermentation)」という二つのアプローチを組み合わせています。近年の研究では、Saccharomyces cerevisiae に非サッカロマイセス酵母や乳酸菌を混合接種することで、エステル生成の増加や高級アルコール・有機酸プロファイルの多様化が起こり、香りの複雑性や官能評価が向上することが示されています。本作は、こうした知見を背景に設計した、ヘリテイジバレルエイジドフルーツボタニカルサイダーです。名前は少々複雑ですが、仕上がりは非常に精緻で、美しいバランスに到達しました。
ボタニカルには、日本草木研究所によるネズミサシ(Juniperus rigida、ヒノキ科ビャクシン属)を使用しています。ネズミサシは木材・針葉・果実いずれも油分が豊富で、同属の Juniperus communis などの精油研究から、α‐ピネン、サビネン、リモネンなどのモノテルペンや、(E)‐β‐カリオフィレンなどのセスキテルペンを主成分とすることが報告されています。これらの成分は、典型的な針葉樹系の清涼感やスパイシーさ、樹脂感のある香りをもたらします。 ネズミサシは群生地が少なく、痩せ地の先駆樹として知られ、土壌が豊かになると姿を消していきます。和名の由来は、「ネズミを刺すほど鋭い葉」からと言われています。ネズミサシ由来のジュニパー様の香りと、ジン樽に由来するジュニパーベリーのボタニカルが重なり合い、リンゴや無花果のフルーティーさと調和することで、松脂・シトラス・スパイスが幾層にも折り重なったアロマが立ち上がります。
様々な要素を織り込むときに最も重要なのは、最後まで全体のバランスを崩さないことでした。本作では、野生酵母を活かした複合微生物発酵により、骨格のはっきりしたフルーティーさとスパイシーさを両立しています。近年のレビューや実験研究でも、シードルにおいて野生酵母・乳酸菌を含む微生物群集が、エステルや高級アルコールの多様な生成を通じて香味の複雑性と奥行きをもたらすことが示されています。 ベースとなる原酒には、伝統的醸造用品種(ヘリテイジ種)のリンゴを用い、以下 3 つの異なるヴィンテージと製法をバレルブレンディングしています。
2022 年産 秩父蒸留所のセカンドフィル・バーボンバレルで長期熟成した原酒。樽由来のラクトン類やバニリン、微量な酸素供給によるゆるやかな酸化熟成により、丸みのある質感をまとっています。オーク樽熟成では、木材中のヘミセルロースやリグニンから由来するラクトン類やフェノール類が徐々に溶出し、同時に樽を通じた微量酸素の供給によってポリフェノールの酸化・重合やアロマ前駆体の変換が進むことが報告されています。
2023 年産 フレッシュな果実味を保持した主発酵のみの原酒。高級アルコールや発酵由来エステルが前景に立ち、ブレンド全体に若々しく立ち上がるトップノートを与えます。一般に、若いワインやシードルでは、発酵直後のエステルと高級アルコールがフルーティーで華やかな印象を支え、熟成に伴うエステル組成の変化とともに香りの焦点が移っていくことが知られています。
2024 年産 キーヴィング(keeving)製法により、ペクチン質のゲル化を利用して自然な甘味と旨味を残した原酒です。この伝統的フランス式の高澄清法では、ペクチンメチルエステラーゼ(PME)によって脱メチル化したペクチンとカルシウムイオンが架橋し、「シャポー・ブラン(chapeau brun/褐色の帽子)」と呼ばれるペクチンゲル層を形成します。このゲル層が酵母栄養素や懸濁固形分を取り込み、酵母が利用できる窒素源を低下させることで発酵が緩慢化し、残糖と複雑な香味を保持することが報告されています。本作でも、高澄清後の清澄果汁を用いることで、自然な残糖感と滑らかなテクスチャーを引き出しています。
これら 3 つのヴィンテージをブレンドすることで、熟成由来の丸みとフレッシュさとのコントラストを精密に調整しました。樽熟成中には、木材由来のラクトン、バニリン、フェノール類に加え、時間経過に伴うエステル化・加水分解反応によって、リンゴ酸や酢酸と高級アルコールが再エステル化され、エチルエステル類のプロファイルが再構成されることが示されています。本作では異なる熟成段階の原酒をバレルブレンディングすることで、それぞれのエステルプロファイルと酸・ポリフェノールの状態を重ね合わせ、奥行きのある香味変化を設計しました。 また、東近江市「あぐりきっず」の黒無花果ネグローネと、小田原市「あさみどり養蜂販売」の蜂蜜の豊かな糖分と香り成分が、木樽熟成原酒のタンニンや酸・アルコールの骨格と結びつき、ボディと芳醇さを補強します。
Reference
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